全部の学生生活を振り返る

この記事に関してですが、おそらく消したほうが良いなと言う判断を下してそのうち非公開にすると思います。

学生じゃなくなったんだな

いつの間にか自分が学生ではなくなっていました。

なんというか、高校二年生まで本当に大学に行くつもりだったので、急なショートカットをした気分です。

この間も高校三年間が終わったなみたいな事を書いたと思うのですが、実際に会社に通うようになってからようやく学生じゃなくなったということに気づきました。

昔通っていた高校の同級生は大半が進学したようで、「 ○○大学合格した!」みたいな書き込みがタイムラインを過ぎる期間もありました。

自分は本当の意味では学業から離れたということになるんですかね、なんというかよくわからない感覚です。

全学生生活を総括してみる

これまでときっぱり決別するためにも、振り返り、どういう道を辿るとこういうルートになるのか、自分でも考えてみます。

幼稚園生

学生とは違うかもしれないけども一応

宮崎で生まれ、物心付いた頃には岐阜で暮らしていました。

3歳?4歳?から幼稚園に通うようになったらしいです。

勿論他の園児達と共に外で遊ぶわけなんですが、自分が日陰で遊ぶようことを覚えたのは大体幼稚園の年中くらいからです。

年中の頃に親からゲームというものを教えてもらいました。今思うと、これが全部の始まりだったのかもしれないです。

親に教えてもらったゲームは

です。

覚えていることといえば、上記のゲームを苦労してクリアしたこと、クロノトリガーは漢字が読めなかったこと、加えて同い年の子に外遊びに誘われたけどゲームを選択、軽く嫌われたということくらいです。

あと水泳をはじめました。

小学生

低学年

小学一年生になる頃には、GCのゲームで遊んだり、親が買ってきたPS2太鼓の達人のディスクを傷だらけにしたり、ゲームに触れる機会が更に多くなっていました。

そして、この頃にパソコンという存在を知ってしまいました。

そのパソコンの状態なのですが、

  • FDDの蓋が開かない
  • CDドライブは回らない
  • GAMEPACK2000のうち大半動かない

ような、当時としても年代モノのような機体でした。

親がパソコンに詳しくなく、ただのゲーム機として使っているような印象でした。

自分はエアホッケー、ポムポムプリンのゲーム、ブロック崩しをよくやっていたと思います。

中学年

小学二年生か三年生の頃、僕はインターネットの概念を覚えます。

最初はケータイでポケモンのコンテンツが見れる!という名目で、勝手に親のケータイを使ってネットサーフィンをしていました。
結果、よくパケ死をして親に怒られるといったことを懲りずに何回も繰り返していた覚えがあります。

また、ただのゲーム機だったパソコンが、スーパードンキーコング3の攻略情報表示マシンでもあるということに気づきました。

この頃自分の家にインターネット系の固定回線は存在しておらず、友達の家に行って色々なサイト(おもしろフラッシュとか)を巡回していたと思います。

小学四年生になると、友達の家でドナルドの音MADを見て楽しむといった遊びを覚えます。

この音MADに運悪くハマってしまい、それこそ友達の家で遊ばず、ただインターネットでウェブサイトを見るようになってしまいました。

こんなことを少し繰り返していると、転機が訪れました。小学四年生後半あたりで自分の家にインターネットの回線が引かれることになります。

こうして快適なインターネット生活を手に入れた僕は、メールアドレスの概念、アカウントの概念を覚え、ニコニコ動画(夏)というサービスに登録することになります。

これまで友達の家で楽しみながら見ていたインターネットが自分の家でも楽しめるようになってしまいました。

確かこの頃から自分が内気な性格になっていったと思います。

高学年

この頃になると、ゲームの吸出し機というものの存在を知り、誕生日のプレゼントにこーどねーむホンコンという吸出し機(組み立て代行済)を買ってもらいました。

何がしたかったかというと、スーパーマリオワールドの改造です。

ここあたりから自分がネット上で書き込むだけでなく、コテハンでの活動を覚え始めます。

例えば自分のホームページをfc2webで作ってみたり、ニコニコ動画に初めて動画を投稿したり、一番楽しかったのはマリオワールドの改造作品をプレイ、ステージをスレに投稿することだったり、色々なことをした痕跡が今でもネット上に残っています。
とてもつらい

それでも今ここまでプログラミング等に興味を持つことが出来たのは、この頃の行動が一番大きかったかなと思っています。
確かHSPも一瞬だけチョロっと触った覚えがあります。

学校の方はというと、皆勤賞を取るくらいにはちゃんと通学しており、前一緒にインターネットを見てた奴らと一緒になってネット上で何かをして遊んでいた覚えがあります。

中学生

そろそろ自分の陰気さが全力になってきて、スクールカースト問題に大きく当たることになります。

中学二年生の頃には初めて学校に行かない日ができたり、前途したネットが共通の友達にも一瞬嫌われたりと、中々につらい日々が多くなってきます。

それでも高校への推薦をゲットするくらいには学校に通い続けることができていました。

ネット上では、中一あたりで自作のスプライトやオブジェクトを作ってみたり、Twitterアカウントを取得したり、中三あたりで初めて音MADを投稿してみたり、各方面での活動が割りと活発になってきます。
本格的にスーファミのゲーム数本をやりはじめたのもこの頃からだと思います。

あと中学三年生くらいの頃にPythonを始めました。代わりに水泳をやめました。

高校生

一年生

受験なしで入った、一般科の進学校で、入学前のテストで特待を取っていました。

また、中学の頃の陰気さを少しだけ捨てて、コンタクトにしてみたり、だいぶ頑張っていたと思います。

部活も弓道(筋トレが校内で一番きついことで有名)に入ることで、様々なデビューを画策していました。

確か夏休みが終わって少し経った頃から急にそこそこな強さの頭痛が常にするようになり、一ヶ月の間学校を休むことになります。

一回休むと中々復帰することが難しくなり、それが悪循環になってしまい、学校に来る頻度が急激に下がってしまいます。

確か冬休み明けあたりから頭痛も相まってずっと保健室登校、しかし単位のために教室にいるみたいなことを繰り返していたと思います。

とにかく、単位を取ることはできました。

ちなみに家では基本寝ているか、調子のいいときはパソコンで何かをするくらいの生活だったと思います。

二年生

この頃も前年度の最後同様、保健室ベースでの登校が繰り返されました。

GWの前辺りから急に学校に全然行かなくなったり、頭痛とは関係なしに学校に行きたくなくなったりしていました。

ただ単位をとるために授業に出て、テスト期間後には補修を繰り返し行うといった感じの生活をしていたと思います。

冬休み明け、単位もギリギリなところ、急に本当に学校に行きたくなくなり、完全に休むようになりました。

残りの3ヶ月、どう過ごそうかと迷っていたときに出てきた選択肢はこんな感じでした。

  • 留年する
  • 春休み補修でなんとか挽回する(学校の規則的に可能だった)
  • その学校をやめる

春休み補修に関しては、もう勉強する気力というか、学力すらボロボロの状態で追いついても意味がないと判断しました。

自分の心の状態的に、留年するのはとても厳しいということで選択肢から消えました。

残りの通信制高校に転校するというのが最終的に取った選択肢なのですが、1月半ば頃から急に探し始めたので、別の高校に対する知識が全くありませんでした。

近場の通信制高校や、名古屋の通信制高校の説明を聞きに行ったり、色々と探している中、先生から勧められた高校がありました。

その高校はN高等学校です。

家に居ながら、インターネットで授業を聞き、インターネットで課題を進め、インターネットでレポートを提出するという、全てがインターネットで完結するような高校です。

親はずっと家にいてしまうことに危機感を抱いていたのですが、先生が勧めてくれたのは、このN高校のコースの一つにあった、プログラマーズ・ハイレベル・ハイスクール(以下PHH)でした。

このコースは、東京にある教室に通いながら、一年間でプログラミングについて学び、プロを目指すという、中々に狂った目標を掲げたコースでした。

しかし自分も狂っていた上に、もう9教科の学業に対して全くの関心を持つことができなかった上に、「完璧に環境を変えて一から頑張るしかない」という状況に立たせることを親も了承したため、2月中頃になってN高校に編入、このコースに通うことを決めました。

三年生

とても大きなチャンスを貰った僕は、この年度から親元を離れて埼玉の学生寮で生活することになりました(資金面の援助はフルで貰っていた)。

自分の中でも何かに火がついたのか、前年度、前々年度とは違って、一年を通して通うことができていました。

このN高とPHHなのですが、この年から始まった学校、コースなので、どちらにとっても最初の生徒として参加していました。

初年度PHHには24人の生徒が集まったらしく、基本的に関東からの方々が多かったですが、自分と同じ地方からの出身も数多く、クラスの1/4か1/5くらいは親元を離れて暮らしていたんじゃないかなと認識しています。

その中には、一年生、二年生、三年生が混在しており、プログラミングの経験が無い方の方が多いのではないかと認識しています。

第一期生なのにもかかわらず、これだけ多くの人数が集まったのもすごいことだと思います。

PHHで学んだことはというと、最初の一ヶ月は

ノンプログラマのためのJavaScriptはじめの一歩 (WEB+DB PRESS plus)

ノンプログラマのためのJavaScriptはじめの一歩 (WEB+DB PRESS plus)

を最後まで終わらせるなどしていました。

ここでは詳しく書きません。

人間関係についてなのですが、本当にみんないい人ばかりで、最後の日に教室には12人しかいなかったけど僕が知る中で一番仲のいいクラスが出来上がっていたと思っています。本当に全員良い方々ばかりで、本当に助かりました。

このPHHでの生活についてはまた別記事として公開したいなと思っています。

また、自分はこの年から初めて東京に通うようになり、東京で遊ぶことができる人間になりました。

PHHのアシスタント講師の方にクラブイベントを教えてもらい、好きだったクラブミュージックが更に好きになり、自分の許容するジャンルが大幅に広がっていきました。

その他にも、埼玉、東京というのは人が集まっている場所であるため、ネット上の方々と会うことができるようになりました。

中学生の頃からネットで交流してた方とオフで会うことがあり、友達のいない土地で、変に知っている人と友達になるというようなことが数回ありました。

色々な出来事が重なり、関係する全ての方の力を借りた上ですが、この歳で上京した形になり、この事実は自分の人生において確実に大きな影響を与えていると思います。

こんな感じで、自分の学生生活の12年間に一度節目がつきました。

今月からについては2つ前の記事にちょっとだけ詳しく書いてあります、

大学について

色々な方々が言うとおり、大学に行くことがどういうことかはなんとなくですが理解しています。

やはり自称であっても進学校に通っていた自分からすると、大学というものを中々大きく意識してしまいます。

CSか生物学かについて勉強したいところもありますが、これからの4年間を勉学に割けるほどの余裕が作れないと思っており、進学は厳しいだろうと判断しています。

もしかしたら数年で考えが変わるかもしれませんが、恐らく暫くの間は学業から離れたままになると思っています。

お金も必要だし、社会人学生は忙しすぎて死にそうだし、あの人達はよく体がもってるなといつも思う。

おわり

なんというか、小さい頃の一存をずっと引きずった感じがします。それからも数回ターニングポイントがあった感じがします。

でも今はこうなって、とてもとても大きなチャンスに巡り会えました。

この先どうなるかは本当に誰もわからないだろうし、兎に角できることをやっていく他ないだろうし、今はとりあえず、このチャンスを物にするべきだと考え、頑張っています。

プラスに考えれば、まだ18歳だし、何かあっても立ち直ってやるぞ~くらいの気持ちでいるので、今後ともよろしくお願いします。

これまでを振り返れるいい機会になりました。

おしまい