先週の月曜日の夜に父方の祖父が亡くなった。翌日の夜に急いで帰り、その日からお通夜をやった。喪主は父親が勤めているので、自分はそこまで大変ではなかった*1。お通夜の日は亡くなった祖父と同じ部屋で寝た。最近は夜通しで起きている感じでもなくて、途中でみんなで寝たりもするらしい。お線香もLEDでできていて、電池が切れるまではその火も止まらないようになっていた*2。翌日はお葬式で、一通りの式を行って解散したあと、祖母と自分らの家族とでご飯を食べて、また解散して実家に帰宅。

葬儀は大きめの華やかな会場で執り行われ、親族の方々や親交のあった方々など、それなりの人数が参列者として足を運んでいた。この2点はかなり自分の中で大きなことで、純粋にここまで素晴らしい葬儀を開いてもらえたということは、90年強も生きた、その最後の締めくくりとしてはかなり美しいもので、それだけで余るほどに充分なことなのだろうと思った。有終の美というのはまさにこのことだと思う。将来的な最後のロールモデルにもなりそう。

また、葬儀を執り行う方々も素晴らしく、これぞまさしくプロだなと思わせるような動き方だった。我々が祖父と別れる場としてはまさに最適で、なんの曇りもないような環境だった。個人的に、葬式というのは故人のためのものという側面の他に、生きている我々が事実を受け入れるためのものという側面があると思っている。生きている我々からすれば後者側がとても大事だと思うのだが、今回はそれを存分に享受することができた。たくさんの思い出を振り返ることができたし、思い出を親族と共有することができた。もう会えないと思うと本当に寂しいし、一番最後はどういう気持ちだったのか?と思うと本当に悲しくて仕方がない*3。そういった考えもあり、全力でたくさんの涙を流させてくれる環境を作ってくれた葬儀屋の方には感謝をしてもしきれない。

当初、6月の初週に実家に帰省し、ついでに祖父にも会う予定だったが、祖父はGW中頃に急に病にかかり*4、そのまま亡くなってしまった様子。自分が聞いたタイミングではもう「息をしていない」とのことで、どれだけ急いでも物理的に死に際を見ることはできない、という状態だった。最後に会ったのは実家の愛犬が亡くなった頃(2021年末ごろ)なので、1年半ほど会うことがないままだった、ということになる。これは個人的にはとても後悔の残る結果だった。ただただ「自分がGW中の移動の不都合を気にしなければ」あるいは「リモートワークだとかで実家で仕事ができるのでいつ帰っても問題ない、なんて考えに甘えなければ」と思うばかり。自分の祖父と祖母はあと3人いる。利己的な事を言ってしまうが*5それぞれ歳も歳なので、個人的に後悔が残らないように接せると嬉しい。

*1:受付をやったくらい

*2:しかも、換えの電池もあった

*3:寝ている間に亡くなる、というパターンが良さそうに思う/様子を聞いているとどうやらそうらしい、ということだったが、ただ亡くなりつつある方の脳内ではどういった様子になっているのか全くわからない、というのが本当に怖い

*4:自分の両親曰く「元気そうで、そのまま退院するものだと思っていた」だそうで、この件は自分には伝えてくれなかった

*5:しかし、おそらく相手方も嬉しいだろうが